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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2817号 判決 1960年9月26日

原告 平沢平一

右訴訟代理人弁護士 川尻二郎

被告 阿武福太郎

被告 大塚トキ

主文

被告阿武福太郎は原告に対し東京都中央区築地一丁目一六番地の二家屋番号同町二一四番木造瓦葺二階建居宅一棟建坪一二坪五合二階坪一〇坪(以下単に本件家屋と称する)を明渡し、且つ金一八、〇〇〇円及び昭和三四年一月一日から右家屋明渡し済に至るまでの一ヶ月金三、〇〇〇円の割合による金員を支払え。被告大塚トキは原告に対し本件家屋のうち二階一〇坪を明渡せ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

先ず原告の被告阿武福太郎に対する家屋明渡請求について判断する。被告阿武が本件家屋を占有していることは当事者間に争がなく成立に争いない甲第一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は訴外横田ヱチから昭和三三年六月一〇日売買契約を原因として本件家屋の所有権を取得しその登記を経由したことが、認定出来る。

次に被告阿武の抗弁及び再々抗弁並びに原告の再抗弁について判断する。

被告阿武は原告の本件家屋の買受け以前に右家屋につき訴外横田ヱチ(前所有者)と賃料一ヵ月金三、〇〇〇円で期間の定めなく賃貸借契約を締結したこと、原告は昭和三三年一二月二三日到達の書面をもつて、被告阿武に対し同年七月以降同年一二月まで六ヵ月分の延滞賃料合計金一八、〇〇〇円の支払いを同年一二月末日までにするよう若し同日までに右賃料を支払わないときは右期限経過と同時に右賃貸借契約は解除されたものとする条件附契約解除の意思表示をなしたことは当事者間に争がない。しかして、被告阿武は右解除の効力を争いまず前記賃貸借契約に基く賃料債務は取立債務であると主張する。然しながらかりに取立債務であるとしても、同被告が履行遅滞の責を免れるためには原則として少なくとも言語上の提供を要する筋合であるから、この点について何等の主張がない以上右主張は右解除の効力を争うための主張としてはそれ自体理由がないというべきである。

次に被告阿武主張の原告の受領拒絶等について検討するに、昭和三三年六月一三日に原告代理人菊田吉太郎が、更に同年同月二五日頃に原告本人がそれぞれ賃貸借の承継を否認して、本件家屋を明渡すよう要求したこと、被告阿武が同年同月分の賃料金三、〇〇〇円を原告のために同年六月二七日東京法務局に弁済供託したことは当事者間に争がなく、また郵便局のスタンプの部分の成立に争いがなく、従つて本文も真正に成立したと認められる甲第四号証によれば、昭和三三年七月一八日被告主張のような通知が被告阿武に対してなされた事実を認定することが出来る。

以上の事実からすれば、原告は前所有者訴外横田ヱチから本件家屋を買受けてその所有権を取得して以来一貫して本件賃貸借の承継を否認していることは明らかであり、従つて毎月弁済期の到来すべき賃料について、予め受領を拒んでいるものと解釈することが出来る。このような場合被告阿武がたとえ賃料支払いについて所謂言語上の提供をなしても、原告においてその受領を拒むべきことは当然推測しうるのであり、賃貸借契約の如く継続的に債権債務が発生する契約において、賃貸人がかかる意思をもつていることが明白である事情のもとになお形式的に被告の毎月の口頭の提供を要求するのは債務者をして徒労の所為に出でしめることになり全く無意義なものといわなければならないから、このような場合には賃借人は何等弁済の提供をしないでも履行遅滞の責を負わないものというべきである。民法第四九三条但書の規定は債権者の協力を必要とする弁済の提供についての信義誠実の原則の具体化であり、同じ原則に基いて口頭の提供を必要としない場合ありと解釈することを絶対に許容せざる趣旨のものではない。

従つて、被告阿武は原告からの支払催告があり、これにより原告が受領拒絶の意思を撤回したことが明らかになるまでは口頭の提供をしなくても履行遅滞の責任はないというべきである。ところで、原告は昭和三三年一二月二二日に至り延滞賃料合計金一八、〇〇〇円を同月末までに支払うよう催告し、右期間内に支払わない場合には右期間経過と同時に賃貸借契約は解除されたものとする条件附契約解除の意思表示をなし、右通知は翌日被告阿武に到達したことは当事者間に争がなく、被告阿武が右期間内に弁済または弁済の提供をしたことを認めるに足る証拠はない。この点について被告阿武は右のような催告に接してもなお債務者の責に帰すべき事由による履行遅滞の責任はないと考えているようである。

一般に債権者が受領を拒絶している場合には債権者はあらためて受領すべき意思を表示して受領拒絶の意思を撤回しなければ相手方を遅滞に付することは出来ないのはもちろんであるが、この場合相手方を遅滞に付すべき催告と、民法第五四一条の催告とを同時になしても差支えなく、債権者の受領の意思が明確になつた以上債務者としてはその通知を受けた日より遅滞に附せられたものと解するのが相当である。蓋し民法第五四一条の解除権の発生は遅くとも其催告と同時に遅滞に附せられることをもつてたると解されるからである。これを本件について考えてみると、原告は前記のように昭和三三年一二月二二日被告阿武に対し同年七月分から一二月分までの賃料支払を催告しているのであり、ことに同被告がさきに供託した同年六月分の賃料を右催告から除外しているのであるから、他に特段の反証のない本件においては、これにより原告の受領拒絶の意思は撤回され且つ原告が賃貸人であることも明らかになつたものと認むべきであり、その結果として同時に被告阿武は履行遅滞に陥つたものといわなければならない。

被告阿武は右催告を受けた後も原告が賃貸人の地位を承継したか否か明らかでなく、又なお原告が受領拒絶の意思を持続しているものと解したもののように考えられるが、右催告によつて原告の受領拒絶の意思が撤回されたことは客観的にも明白であり通常の注意を払つてこれを読めば容易にこれを看取し得たはずであつて原告の右撤回に気付かなかつたとするならば、それは一に同被告の軽卒に帰すべきことであり原告が賃貸人の地位を承継したことにつきなお疑念を懐いていたとすればそれは被告阿武の思い過ごしか希望的観測に出でたものであることは前後の事情から十分推認せられるところであるからその結果生ずる不利益は同被告において甘受する外はないというべきである。

次に被告阿武主張の供託については、右供託は催告期間経過後に行われたものであることは被告の自認するところであり、右期間の経過が被告の責に帰すべからざる事由によるものであるとは到底認められないことは右認定により明らかであるから、結局右供託は条件付解除の意思表示の効果の発生を妨げる事由とはなりえない。

よつて無断転貸による解除の点についての判断をするまでもなく、原告の被告阿武に対する家屋明渡しの請求は理由がある。

次に被告大塚トキに対する請求について判断する。

被告大塚は前記被告阿武と同様の答弁、及び抗弁再再抗弁を提出するのであるが、前記認定の結果明らかな如く、原告の賃貸借契約の解除が認められ被告阿武は本件家屋を明渡さなければならないのであるから、被告阿武の賃借権の消滅により、被告大塚トキの転借権はたとえ、承諾のある転借権であるとしてもその存在の基礎を失うことになるからその余の判断をするまでもなく原告の被告大塚トキに対する請求は理由がある。

第三に被告阿武に対する不法行為にもとづく損害賠償請求について判断するに被告阿武が原告に対抗しうべき正当権限のないことは前記認定の如く明らかであり、被告阿武は本件賃貸借契約解除の翌日たる昭和三四年一月一日以降現在にいたるまでひきつづきこれを占有していること、本件家屋の一ヵ月の賃料が金三、〇〇〇円であることは当事者間に争がないのであるから、被告阿武は昭和三四年一月一日以降原告に対して本件家屋の賃料相当額たる一ヵ月金三、〇〇〇円の割合による損害を与えているものというべきである。

最後に被告阿武に対する延滞賃料請求について判断する。

被告阿武と訴外横田ヱチとの間で本件家屋につき賃料一ヵ月金三、〇〇〇円で期間の定めなく賃貸借契約が締結されたことは当事者間に争がなく、前記認定の如く原告が本件家屋の所有権を取得しかつそれについて登記が存在しているのであるから、原告が昭和三三年六月一〇日に本件家屋を訴外横田ヱチから買受けてその所有権を取得すると同時に原告は法律上当然に貸主たる地位を承継したものと解される(借家法第一条第一項)。従つて進んで供託の抗弁について判断するに、被告阿武が昭和三四年一月一三日に金一八、〇〇〇円を原告のために東京法務局に弁済供託したことは当事者間に争がない。

被告阿武が供託したのは原告がその賃借権を否認して受領を拒んだというのであり、右事実は前記認定事実より少くとも昭和三三年一二月二三日到達の書面をもつて支払の催告をするまでは継続していたとみることが出来るが、その書面による催告により原告の受領拒絶の意思が撤回されたこと並びに原告が賃貸人の地位を承継したことは明らかになつた(被告阿武においても当然右事実を認識することを得べかりしものであつたと認むべきこと前認定のとおりである)のであるからその後の昭和三四年一月一三日の供託はその適法条件としての弁済の提供を欠き、従つてその供託につき債務消滅の効果を認めることは出来ない。

従つて原告のこの請求も理由がある。

以上判断したところに従い、原告の請求は全部正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。なお仮執行の宣言は、原被告各本人尋問の結果により認められるように原告においては現在住むべき家があるに反し、被告等においてはさしあたり現在家屋から立退いた後の立退先がない事情を考慮して本件事案のもとでは仮執行の宣言を付さないのが相当であると認めたからこれを却下する。

(裁判長裁判官 近藤完爾 裁判官 池田正亮 斎藤次郎)

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